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昭和15年5月発行 「歴史写真」 - 昭和15年3月の南京の写真とレポート

南京奪回または南京攻略は昭和12年の12月であり、南京大虐殺も昭和12年の12月に起きたとされていますが、私の資料では、その後13年、14年、約2年数カ月を掛けて、蒋介石が大破壊した南京の町を、日本が支援して復活させて来たことが解ります。「春たちかえる南京」というタイトルで特集ページが組まれています。

春たちかえる南京(1)
南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

春たちかえる南京(1)

記事:汪兆銘氏を首班とする新支那中央政府樹立せられ、四億の国たみが待望久しき和平建国の大理想いよいよ目の当たり実現せられんするに当り、新首都たるべき南京の春色漸く(ようやく)こまやかに、天日明麗、前途の多幸多福を宛ら(さながら)物語るものの如くである。写真の(右上)革命の父孫文逝いて(ゆいて)十五年、3月12日南京中山陵の記念式当日、孫文像に礼拝する褚民諠(ショミンタク)氏。(左上)南京電話局では姑娘交換手も今は立派な日本語でハキハキ応対しながら、上海、内地と忙しい交換の事務に従事している。(右下)還都式場となり、又新政府の行政院となるべき、舊(旧)政府当時の考試院。(左下)3月12日孫文15周年記念日、中山陵に参拝する汪兆銘氏親衛隊ある。

☆褚民諠氏は余り有名ではありませんが当時の中国政府の要人で日本へは大使として訪問などしていたようです。
☆汪兆銘氏の親衛隊は、やはり結構な人数がいたようです。

春たちかえる南京(1)ー汪兆銘氏の孫文陵 参拝

春たちかえる南京(1)ー汪兆銘親衛隊の孫文陵 参拝 記事

孫文氏は、清朝からの独立革命を主導した方で、亡くなった後は非常に大きな墓陵が立てられています。
汪兆銘氏は、この方の直の後継者とされていました。当時の中国での影響力がどの位大きかったかは想像できると思います。
以下、YouTubeにあったのでご参考。

春たちかえる南京(2)
南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

春たちかえる南京(2)

記事: 支那百年の和平建国は日本と親しく手を握る事からとの認識が今では支那人の誰の頭にもはっきり植え付けられてきた。南京の女学生たちも何とかして日本語を上達したいと、放課後の少しの休みにも、一生懸命その学習である。(左上)南京維新路にある舊(旧)国立美術館陳列館。(右下)3月上旬、大民会主催の還都擁護運動大会に使用の大アドバルン製作で、支那夫人たち嬉々として是に従事している。(左下)新首都の中央ロータリー付近と中山東路。紫金山の霊峰が仰がれる。

☆それにしても、日本人は今も英語で苦労してますが、当時は中国語で非常に苦戦していたようです。私もちょっと勉強してみましたが、英語よりもっと難しいと思いました。(1)の記事によると、電話交換も中国語で出来ない人が多かったようです。何だか今と同じですね。なので、中国の皆さまが代わりに日本語を覚えてくれていたようです。当時の日本と中国の親善対策を考えれば、強制では絶対ありません。私の近所にいた中国人の方々のように、優しくて聡明な方が多かったと思います。でも、日本人が外国語が苦手なために、戦後、この事で、強制的にやらせたという話にされてしまいました。

春たちかえる南京(2)- 記事

世の中、日本で生きるのに英語なんて要らないとか平然と言う人も多いですが、私はこういう人は学歴に関係なく”無知”な人間だと思います。英語にしろ、語学の習得は時間が掛かります。今使うかではなく、いつか使わなくてはならなくなった時の為に、常に準備をしておくという事です。他国の人々の好意に甘んじて努力をしなかった為に、日本人が強制的に日本語を押付けたと言われてしまったのです。二度とこういう事を言われないように、外国語の一つくらいマスターしないとダメです。備えあれば憂いなし。これだけ外国人の来日数が増えているのですから、常に問題意識をもって、牛歩の如くであっても、続ければ使える様になります。 私の父は、「英語だろうがフランス語だろうが、その国へ行けば、スラム街でも乞食でも皆な話している。英語が話せるなんて大した事ではない。」と言っていました。皆さまへもこの言葉を送ります。大したことではないと思えは、大したことではなくなるのです。まずは精神の解放からです。完璧に話せる必要などありません。

春たちかえる南京(3)
南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

春たちかえる南京(3)

記事:(右上)今や還都準備委員会のてに移り、新中央政府樹立を控えて一大修理を急ぐ旧中央部の建物。(左上)南京に開かるる中央政治会議に首班汪精衛(汪兆銘)氏以下多数の要人が会合するに就き極めて厳重な警戒を行う為、3月8日、北京なる中国憲兵隊の将士多数が南京に到着し、直ちに夫々の部署に就いた。(右下)壮絶無比の激戦を演じた南京光華門も、今は”和平救国”のスローガンを大書されて如何にも更生首都を象徴するかの如くである。(左下)南京における教員養成所の習学振りである。

南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

春たちかえる南京(3)ー記事

1939年7月の日英会談の後、1937年12月14日樹立の北京臨時政府と1938年3月28日樹立の南京臨時政府と、2つに別れていた政府の合併に向けて準備が始まり、1940年3月20日、新支那中央政府としてスタートする事になりました。蒋介石に占領されていた中国の各都市も、奪回に成功し、このころは一時期中国にも平穏な状況が生まれたと言えます。ここでも解る様に、日本政府と組んで政府を立ち上げた北京政府も、南京政府も、当然のことながら、自分たちの軍隊を構成していました。左上は、北京から来た、中国人の憲兵隊です。憲兵隊も実際には軍隊の一部です。中国政府軍は、蒋介石との戦いでも、様々な局面で活躍おり、死者も出ていました。当時、日本軍は、中国各地で慰霊塔が立てていますが、これらは日本人の為だけではありません。むしろ、中国人の戦死者と、多分、蒋介石軍での遺棄死骸として町に残された方々の為でしょう。

春たちかえる南京(4)
南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

春たちかえる南京(4)

記事:(右上)旧政府当時の主要なる建物は、それぞれ一大修理を施されて新中央政府の機関に使用せらるるであろう。写真は維新路にある旧国民大会堂。(左上)3月8日、南京に開催せられた還都擁護運動大会に際し、支那婦人たち風船によって傅單(伝単)を散布せんとしつつあるところ。(右下)南京の誇る天文蓋は、今回いよいよ2百万円を投じて復興せらるることとなり、科学都市南京のシンボルとしてその将来の活躍は大いに期待されている。(左下)新政府を歓迎する児童大会が淮海路中央大舞臺に於いて開催せられ今しも一人の児童堂々熱弁を揮っている有様である。

春たちかえる南京(4)

春たちかえる南京(4)ー記事

☆上記も、新政府の立ち上げを控えて、南京の町が明るい方向へ進んでいるのが解る記事と思われます。南京大虐殺は、当時の状況や中国政府との関係を考えても、日本人がそんな事をする理由は何もありません。捕虜も、けが人は病院へ送って手当てしてから解放していた位です。日本人が中国人に酷い事をしていたとしたら、汪兆銘氏も他の中国人の幹部の方々も日本側には絶対付かなかったと思います。日本人が蒋介石に細菌猛毒攻撃を受けながら、必死に追撃していたことに感謝してくれていたと思います。

汪兆銘(汪精衛)氏の孫文廟参拝
汪兆銘(汪精衛)氏の孫文廟参拝

汪兆銘(汪精衛)氏の孫文廟参拝

和平建国を畢生の事業として奮い起こった現代支那随一の先覚者汪精衛氏を初め同時の傑士約30名は、3月19日南京中山陵なる孫文総理の霊廟に額づき、今や日ならずして迎えんとする新支那中央政府の黎明に対する感激を披歴した。写真の最前列の中央は即ち汪精衛氏。

上記資料は、以下の発行分より抜粋。

南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

昭和15年5月(1940年5月)発行 「歴史写真」ー 表紙

南京大虐殺から約2年後の実際の南京の写真

昭和15年5月(1940年5月)発行 「歴史写真」ー 目次

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こうした事実を中国の方々に知って頂き、誤解が解けることを心から願います。
アメリカもイギリスも、蒋介石のこうした悪行を知っていたら、味方にも付かないし、日本とも戦争はしなかったと私は思います。

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写真の信頼性について

私がここに掲載した資料は、日本全国に販売された雑誌であり、雑誌そのものが残っており、その一部としての記事です。また、この南京奪回1周年記念の2か月後に執り行われた南京攻略戦での中国人兵士の慰霊祭の写真(「歴史写真」昭和14年4月発行の号)の通り、中国人が多く参戦した戦争である以上、南京での日本人による市民への虐殺行為は絶対有り得ないという事は証明出来るのではないでしょうか。また、南京大虐殺の話以外にも、日本と中国が非常に友好的であった事実について発信する事は、日本の誤解を解くのに役に立つのではと思います。今の中国の方々も何も知らないのかも知れないのですから。

昨年末に、南京大虐殺の展示がフランスで行われた事がありましたが、私は、なぜこの話にフランス出て来るのか意味が解らないです。中国の植民地化には当然フランスも関わっていました。中国の皆さんがこういう歴史を知っていたら、絶対頼まないのではないでしょうか? またフランスの方々も、素晴らしい方々なのは私が実際に一緒に働いてましたし知っています。フランス語も少し勉強しましたし、人生で多くのことを彼らから学びました。過去は過去で、人類にとってそういう時代だったという事です。ただ、それだけに、フランスの皆さまの名誉の為に、この件は彼等は何もアクションされない方が良いように思うのです。こんな風に思うのは私だけでしょうか?

皆さまへのお願い

南京大虐殺の真実について、HPに諸々書かせて頂いておりますが、もっと多くの方々に写真をみて投稿記事を読んで頂いたいところ、私の力不足で、どうやったら広まるのか良く分りません。もしお願い出来ましたら、他のもっと多くの日本人と情報共有出来るよう、他のサイトへのリンクなどお願い出来れば大変有り難く存じます。